ジンバブエ研修活動報告⑧ハラレ郊外の村

2024/3/10

いよいよこの日は首都ハラレとお別れする日です。宿の犬とスタッフに手を振りながら初の長距離移動が始まります。この日は日曜日なので、各所で白い服を着た人による現地での教会にあたる集会や、墓、発電所も見られて車窓からの風景が面白かったです。ハラレ-マシンゴ間のA4という道路は舗装がきちんとされていて、かなりスピードを出していました。日本での高速道路のような存在であるものの、システムは全く異なっていました。ハラレやマシンゴ、ブラワヨといった大都市に入るためにtoll gateがあり、5-6ドルを支払うというシステムで、距離に応じてお金を払う日本のものより理解しやすかったです。

マシンゴに行く前に先日お世話になったンビラ奏者の方のご実家の村に伺いました。ンビラ奏者の方は、日本人の知り合いにもらったというカタカナのTシャツを着ていました。村の家は茅葺で、煉瓦の壁に土を塗り固めてありました。家のリビングには年代物のテレビやステレオ、レコーダーも置いてありました。キッチンの真ん中は囲炉裏のようになっていて、昼食を作ってくださっている途中でした。メイズの粉に水を加えて鍋を混ぜることでサザを作っていて、焚き火の煙が目にしみて目が痛かったです。奥さん方は慣れているから痛くないとおっしゃっていて、感服しました。サザを混ぜる作業も手伝わせてもらったのですが、カヤックを漕ぐときぐらいの重さであまり混ざりませんでした。この作業を毎日するのは重労働だと感じました。次に庭に出て、いろいろな作物を見せてもらいました。きゅうりはアボカドのような形に長いトゲが生えていて、日本のものと全く見た目が異なります。また味もかなり酸っぱかったです。儀礼の時に渡しそびれた醤油を渡すときゅうりにかけて美味しそうに食べていらっしゃいました。その後昼食をいただき、木陰でンビラの演奏を聴きました。音楽に合わせてノリノリで踊っているメンバーもいました。

その後、村に別れを告げ、マシンゴへと移動しました。ハラレのスーパーでは1USDが16000ジンバブエドルだったのが、マシンゴでは18000ジンバブエドルになっていました。一週間でこれだけインフレが起きていることに驚きました。翌日はいよいよグレートジンバブエということで期待して眠りました!


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