セネガル研修活動報告⑧ゴレ島、在セネガル日本大使館
今日は朝からゴレ島へ向かいました。
6時半ごろに出発する組と9時ごろに出発する組に分かれてフェリーに乗り、爽やかな潮風を感じながら快晴の海を渡りました。
船を降りた直後に複数のガイドから我々はガイドを申し出られました。展示があるのでガイドはいらないと最初は断るつもりでしたが、かなりしつこく「しっかり歴史を学ぶにはガイドが必要だ!」と主張されたことや金額が思っていたよりはぼったくってなさそうなこともあり、ガイドをお願いすることになりました。
ゴレ島は世界遺産に登録されており、以前フランスにより奴隷貿易の拠点として利用されていた場所です。島内には奴隷を一時的に収容するために利用されていた「奴隷の家」があり、私たちは現地のガイドの説明を聞きながら見学をしました。実は展示されえいる部屋にはあまり言葉での説明が載っていなかったのでガイドの説明は大変勉強になりました。彼の説明によると、奴隷の家はセネガルで捕まえた奴隷がそれぞれの行き先へ向かう前に約3ヶ月留まるための停留所らしいです。男の子は歯がどれほど健康的か、女の子は処女かどうか、男の人は体重、女の人は胸の大きさにより価値を決定されます。お互いに足首や手首がチェーンで繋がれた状態で狭い部屋に押し込められるため、奴隷の家では何人も亡くなってしまいました。全く奴隷たちの人権に配慮していない数々の残酷な仕打ちについてガイドから学びました。風邪をひいたものは重い鉄の玉を足首に繋がれたままサメのいる海へ投げ込まれ、ガタイのいい男性と買値のつかない女性を合わせて強い赤ちゃんをつくらせ。白人の主人との赤ちゃんを身籠った女の子は9ヶ月も待てないという理由から帝王切開させるなど、なかなか受け入れがたい真実を知りました。その頃の奴隷は人間としてはもちろん動物としても酷い環境に置かれていました。ガイドの男の人は奴隷貿易とそれに伴った残虐な行為について、赦しはするが決して忘れはしないと言っていました。

ガイドの後は南国や地中海の雰囲気を彷彿とさせるゴレ島のきれいな街並みを見て歩きました。今は国の中で有数のいわゆる進学校として扱われる女子校もあり、少しずつゴレ島は歴史と共に前へ歩んでいる様子が見られました。また、ゴレ島はアサラトという木の玉と紐でできた楽器の奏者が多く、いたるところで軽快なリズムが鳴り響いてました。研修メンバーの一部も購入して練習に励みました。

私は昼ごはんを食べていなかったので小さなお店で売っているたまごサンドを買いました。後にわかるのですが、これが食中毒を引き起こす要因になってしまうことも知らずに。さすが元フランス領、パンといえば基本的にフランスパンのバゲットが使用されます。大体20cmぐらいのバゲットの真ん中に炒り卵が挟まれていてケチャップがかかっているシンプルですが安心感のある味でした。食べている途中からうっすらと気持ち悪くなってしまったのは今思えば食中毒の伏線だったのかもしれません。
14時ごろに帰りのフェリーに揺られてセネガル本土へ戻り、そのまま日本大使館へ向かいました。日本大使館では赤松大使と担当者の浅香さんが迎えてくださりました。実際の外交の現場について、またセネガルの現在の情勢についてなど詳しくお話しいただき、質疑にも丁寧に対応していただきました。日本大使館がいつもはどのようなことを行なっているのか学び、刺激を受けられる素晴らしい機会でした。
